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特別コラム:グリーン水素を利用したゼロカーボンスチールの商業利用は現実的か
グリーン水素を利用したゼロカーボンスチールの商業利用は現実的か?
グリーン水素(Green Hydrogen)とは、水を電気分解する事により「水素分子」と「酸素分子」に分離する事で得られる水素である。製造に使用する電気エネルギーは、風力や太陽光発電等の温室効果ガスを排出しない再生可能エネルギーを利用する事が条件となる。電解分解により1kgの水素を得る為には、効率が100%と仮定して39.4 kWhの電力が必要となる。電気分解槽や設備が高額な事や、再生可能エネルギー源である太陽光や風発電は供給能力に問題があり、現時点では商業ベースでグリーン水素を製造する為にはハードルが高い。しかし世界各国の水素戦略、特にゼロカーボンスチール生産で利用される主な水素は、この「グリーン水素」である。
現在の3大製鉄法(高炉製鉄法、電炉製鉄法、直接還元製鉄法)の内、最も二酸化炭素排出量が多いものは「高炉製鉄法」である。高炉製鉄法では粗鋼1トンの生産におよそ2トンの二酸化炭素が発生し、その80%は鉄鉱石還元プロセス(コークス、焼結、鉄鉱石還元)によるものである。「電炉製鉄法」では使用する電力を再生可能エネルギーにする事で製造時の脱炭素化は可能であるが、製造される鉄鋼製品の品質に制限がある。その為、高炉製鉄法又は直接還元製鉄法は今後も欠かせない製鉄法である。
欧米では「グリーン水素」を利用した「直接還元製鉄法」への投資が活発化している。グリーン水素と再生可能エネルギーを利用する事で生産における二酸化炭素排出量をほぼゼロにするという事が目的である。課題も多く、特に高炉製鉄法に比べて生産量が圧倒的に少ない事と、水素を直接燃焼させる事から水素の吸熱反応により還元不良が起こるという技術的なものである。
日本では、高炉製鉄法における脱炭素化としてメタン合成反応(メタネーション)によるカーボンリサイクル方法が検討されている。高炉発生ガスに含まれる二酸化炭素はグリーン水素を利用してメタンに変換(メタネーション)し、還元材として高炉で(繰り返し)利⽤するというものである。高炉発生ガスの内、余剰な二酸化炭素はグリーン水素を利用してメタノールに変換する等の「二酸化炭素回収・有効利用・貯留(CCUS:Carbon Capture Utilization and Storage)技術」を同時に開発する、というものである。この方法は卓上では素晴らしいものであるが、商業利用には大規模な設備投資だけでなく、サプライチェーンを含むシステム全体の構造変更が求められ時間が掛かる可能性が指摘されている。
更に最も重要となるものは「グリーン水素」の生産とその価格である。
2022年5月に欧州の団体である「Hydrogen Europe(水素ヨーロッパ)」が『Steel From Solar Energy(太陽エネルギーを利用した鉄鋼生産)』というレポートを発表した。Hydrogen Europeはヨーロッパを拠点とする水素に関係する企業と利害関係者を代表する組織である。現在350 を超える企業が参画し、それらの企業は欧州の水素、及び燃料電池を利用したエコシステムのバリューチェーン全体に及ぶ。
▶ https://bit.ly/3QmeLLb
発表されたレポートの内容が水素業界だけでなく、欧州の鉄鋼業界でも大きな反響を呼んでいる。レポートの内容で反響を呼んでいるのは、内容を精査したエネルギー専門サイト「Recharge」が示した、以下の部分である。
▶ https://bit.ly/3b5yCiU
EU の現在の高炉製鉄所(高炉-転炉製法:BF-OBF)はEUの鉄鋼生産の60%を占め、溶銑の生産能力は年間約1 億 300 万トンである。このBF-OBFを現在各社が進めているグリーン水素による直接還元鉄(DRI)と電気アーク炉(EAF)の組み合わせによる製鉄法(DRI-EAF)に切り替えた場合、「平均的」なサイズのEUの製鉄工場が脱炭素に必要なグリーン水素を製造する為には、1.2GW-1.3GWの電解槽を常時「フル稼働」させる必要がある。「平均的」な、というのは総溶銑能力を工場数で割った1工場当たりの平均値であるので、あくまで評価用のものである。この製鉄法の転換により、温室効果ガスの発生を年間最大1億9,600万トン削減できる可能性がある。しかし問題はグリーン水素を作る再生エネルギーである。DRIだけでなくEAFでの電力利用を合計すると、合計で370TWhの再生可能エネルギーが必要とHydrogen Europeのレポートは結論づけている。この370TWhの再生可能エネルギーというものが、現実的では無い、という事が問題視されている。
Rechargeの計算によると、現在多くの高炉製鉄所がある北ヨーロッパでは太陽光発電の平均設備稼働率が12%である為(常時晴天でない)、太陽光のみでグリーン水素を電気分解して製造する場合、370TWhの発電供給の為には 350GW 以上の太陽光 パネルの追加が必要になる。洋上を含む風力エネルギーで370TWhを生産する場合、平均的なヨーロッパの風力発電の容量係数が26% (陸上と洋上を含む)の為、160GW 以上の風力発電能力設備の追加が必要になる、というものである。また、発電能力だけでなく、それらに低コストでアクセスできる送電を含む供給網を確立する必要があり、膨大なインフラ投資が必要になる、というものである。
このように、レポートで示されたこれらの数値は現実的ではなく、投資資金の確保も不可能に近い。仮に実現したとしても、グリーン水素の価格が非常に高くなり、商業利用に適するコストにはならない。
更に別の問題もある。
グリーン水素製造で主要な工法となっている「プロトン交換膜(PEM: Proton Exchange Membrane)電解槽」では、イオン交換の効率を上げる為にアノード側の触媒に白金類(PGM: Platinum Group Metals)と希土類を含む触媒が使われている。必要とされる鉱物の中で絶対量が足りず、開発の課題となっている金属がイリジウムとスカンジウムである。イリジウムの世界生産は年間10トン以下で、スカンジウムは20トン程度しかなく、この2つの金属は新規の鉱山開発や採掘量を増やす事はほぼ不可能なものである。鍵となる金属自体の量が確保できず、上記の様な膨大な量の水素用電解槽を製造する事自体が、そもそも困難な状況である。
2022年4月末に欧州委員会の副委員長での欧州の気候変動の責任者であるフランス・ティメルマンスは、欧州議会で「ヨーロッパが十分な量のグリーン水素を生産することは決して出来ないだろう。水素はヨーロッパの未来のエネルギーシステムの原動力になるが、EUはグリーン水素の輸入に頼る必要があるだろう」との見解を示している。この声明は、多くの政治家と業界関係者を非常に驚かせた。ティメルマンスは欧州の気候変動の責任者であり「欧州水素戦略」を立案した欧州委員会のナンバー2である。その人物からの発言として、業界関係者にとっては衝撃的な出来事であった。またティメルマンスは、グリーン水素の輸入元がどこであるのか、どのような具体的な戦略があるのか、については殆ど言及しておらず、地中海や北アフリカを中心とした地域でのグリーン水素製造の可能性を示したに過ぎなかった。
UpstreamとRechargeという 欧州の2つの国際的なエネルギーシンクタンクが、2022年9月に「Recharge Hydrogen Summit 2022: 水素 – 誇大広告、希望、そして厳しい真実」という国際会議を開催する。
▶ https://bit.ly/3StyWsn
European Scientistsを始めとする科学者団体の一部は早くから水素エネルギーの利用には懐疑的であった。
欧米の鉄鋼メーカーが高炉製鉄法の脱炭素化に乗り出さず、リーン水素を利用した直接還元製鉄法への投資しか行っていない背景には、比較的小規模でのプロジェクトが行える事とグリーン水素が宣伝される程普及し辛いと考えているからに他ならないと推測できる。
欧州では、炭素排出権取引市場(EU-ETS)における鉄鋼業への無償枠割当が2032年迄に完全に終了するという提案が行われている。グリーン水素の商業化の厚い壁とEU-ETSの無償枠の終了は、欧州鉄鋼業にとって大きな問題であり、鉄を利用するあらゆる産業にとっても多大な影響を受ける出来事になると言える。
鉄鋼生産の脱炭素化に不可欠なグリーン水素については、より慎重で多角的な分析が必要不可欠となっている。